陽の届かぬ場所



薄暗い室内でマヤは待つ。
そのドアが開くのを、ただ息を押し殺しひたすら待つ。
どこかおかしいところはないか、彼女は全身をくまなくチェックする。
いつもと同じ一連の作業に彼女ははっと気づき、目を伏せ自嘲気味な笑みを浮かべた。
その瞬間、マヤの目の前に明かりが射す。
室内に響く靴音。
反射的に身を翻し、その足音の主に駆け寄る。
「あいたかったぁ・・・」
背の高いその男性は、がっちりと彼女の体を受け止める。
「俺もだ・・・会いたかったよ」
彼はマヤを上向かせ、その唇にキスを落とす。
やがて互いに、貪るように、口付けが深くなる。
彼は彼女を軽々と抱き上げると、寝室のベッドに、そっと横たえた。
会話もなく、夜の闇に身を隠すような逢瀬がはじまる。
「は・・・やみさん・・・」
閉じた瞼の裏に、確かに眩い光を見たような気がした。




速水とマヤが想いを通わせたのは、皮肉にも彼が結婚した後だった。
当初、互いの中には当然の如く躊躇があった。
が、しかし、溢れる濁流のような想いに所詮は勝てなかった。
やがて彼らは人目を忍ぶ仲となった。
かりそめに互いの時間を紡ぐ関係。

人はそれを、不倫――と呼ぶのだろうか。

公の場所では所属事務所の社長と女優という仮面は外さない。
彼らの関係を知るものは、彼の秘書である水城。
そして・・・確証はないが、妻である紫織も気づいているだろう。
それでも速水の妻は何も問わない。
妻という座が、まるで安住の地でもあるかのように、その揺るぎ無い地位にしがみつく。
速水は体の弱い彼女を労わる、いい夫を演じていた。
「君の体に障るから・・・」
それを理由にし、結婚してからも一度として紫織を抱いたことはない。
そう、彼が抱くのは最愛の女性、マヤだけだった。
夢にまで見た、気が狂いそうなほどに焦がれた女・・・
それでも、もどかしい想いは尽きることなく湧き上がる。
「愛している・・・マヤ・・・君だけだよ」
速水はマヤの体を愛しながら、常にそう囁き続ける。
不安定なふたりの関係を、少しでも確かなものにしたかった。
彼女の心を、自分に繋ぎとめておきたかった。




速水の指先がもどかしい動きで、マヤのワンピースのファスナーをまさぐる。
そんな彼の動きに協力しようと、彼女はほんの少し背中を浮かした。
今度は易々と右手を滑り込ませた彼は、一気に彼女の体を覆う封印を解く。
その殻に手を掛け、はらりと皮を剥くような動作で、肩口から取り去る。
最初に、なだらかな肩先が彼の目に飛び込んだ。
考えるより先に体が動き、速水は唇をそのマヤの肩先に寄せた。
力強く吸い付くその唇に、彼女は薄い声を漏らす。

朱を帯びた、紅い・・・紅い刻印が彼女の肩にくっきりと浮かんだ。

夜目にも鮮やかに、白い肌に浮かび上がる、秘密の証。

それは速水のいつものクセ。
これからの行為の始まりを告げる、儀式ともいえる。
彼は指でその紅い刻印をなぞる。
そしてその指は、すかさず彼女を覆うワンピースを乱暴に剥ぎ取る。
ひやりとした冷気に、マヤは一瞬身を捩る。
その姿に、彼は慌てて覆いかぶさり、その身の温かさで彼女を包む。

見たかった。触れたかった。侵したかった・・・その狂おしいまでの肉体。

マヤの裸体を思い浮かべるだけで、速水は自分の中核が鈍く、熱くたぎっていくのがわかった。
それは日中であっても、たとえ重要な会議の最中でも、それが商談中であっても・・・
絶え間なく襲うリビドーを制御する。それだけで精一杯だった。
彼女も速水も多忙の身であり、そうそう逢瀬を重ねるなど出来ようもなかった。
甘い誘惑に耐えかね、密かに別の女を抱こうと考えたこともあった。
しかし、もし彼女に露見し、彼にとって稀有な存在を失うことになったら・・・
そう考えると、逢える日を指折り数えて、我慢するしかなかった。
いつも、いつも、マヤを貫く自分自身を想像し、そして、自分で自分を慰める。
そんな日々を繰り返し、その果てにやってくる甘美な時間。
徐々に毒に侵され弱っていく人間に、ほんのひとしずく与えられる媚薬。
彼にとっての彼女は、そんな存在であった。

――甘い、甘い毒・・・それに侵されても・・・悔いはないだろう。

彼の熱が彼女に伝わり、互いの温もりに吐息が毀れる。
マヤの顔にかかった髪を直してやる。
もうすでに恍惚を表情に浮かべた彼女の唇が、ゆっくりと動く。

――きて・・・欲しいの・・・

音にはせず、ただ形作られただけのその言の葉は、彼の邂逅を一瞬で吹き飛ばした。
再び、下半身に熱さを感じた速水は、ゆっくりとマヤの体をまさぐり始めた。
彼女の身を包むレースをあしらった布。それを留めるホックを、体をまさぐりながらもぱちんと外す。
途端にあらわになった、形のいい白い両胸が彼の目に映る。
頭が眩む感覚に満たされ、性急に手を伸ばし、両手で包み込んだ。
先端には彼の目を楽しませる、薄い桜の花びらにも似た突起が誘うようにあった。
堪らず彼はそれに口に含み、舌先を丹念に使い、吸い上げた。
右の桜の花びらを舌で、そして左の花びらには指によっての刺激を与える。
親指と人先指で挟みこまれた花びらは、形を変え、紅く染まっていく。
「ふぁ・・・」
鼻から抜けるような声を彼女は小さく上げた。
その声を合図に、速水はその花びらを吸い上げながらも、両胸を下から上へと揉みしだいた。
そして右に左に、交互に舌先で花びらを揺らし続けた。
マヤは両手で速水の頭を抱きしめ、もっと、もっと欲しいというかの如く強く自分の胸に密着させた。 「あぁん・・はぁ・・・」
ただそれだけの行為なのに、すでにマヤは腰を浮かし、徐々に両足を広げ始めていた。
やがて緩やかな動きながらも、それは速水を誘うポーズとなる。
そんな彼女の様子に気づいた彼は、舌での愛撫を繰り返しつつ、右手を彼女の下半身に伸ばす。
彼女の体の線に合わせて、腹に、腰に、指を滑らせながら・・・
羽根のように軽く、そして時折強く押し気味に、指を、指を・・・徐々に目的地に向かって這わす。
期待に満ちる彼女は、小刻みに揺れながら、彼の来訪に身を躍らす。
やがて、待ち望んだ場所に到達した速水の右手。
マヤが身に纏う最後の一枚。その砦の上から、そっと指を落とす。
弧を描くように、ゆっくりと、ゆっくりと撫でながら、彼女の反応を見る。
指を最奥に滑らすと、すでにそこはしっとりと湿っていた。
「あ・・・はぁん・・・」
マヤは小さく息を吐きながら、頭をイヤイヤするように振っていた。
薄布一枚で遮られた、この感覚がもどかしかった。
すでに女として開発されたマヤの体は、より大きな快楽を求めていた。
熱く火照ったこの身を、この女の証を、ただただ攻め立てて欲しかった。
「んん・・・ねぇ・・・」
彼女は腰を浮かし、それを合図に彼はその身から最後の一枚を剥ぎ取った。
と同時に、その指は彼女の薄い草むらに滑り込んでいた。
湿った感触が速水の指に絡みつく。
揺れる腰は彼の指の動きに合わせ、前後に移動する。
ただ快感のみを追求する、女の姿。
速水を至上の快楽にと導く彼女の秘所。
その秘所の入り口にリズミカルな、そして一層の丹念さでもって律動を与える。
指が生き物のように女の証に刺激を加える。
割れて、誘う形となるマヤの、"それ"に沿って五本の指が行き交う。
静かな室内は、わずかな喘ぎ声と、彼女の秘所から発する音との狂想曲で満ちていく。
湧き出る愛の泉は、速水の右手を確実に濡らしていく。
最早・・・速水自身の権化となった指は、一本、二本と彼女の最奥に向かって吸い込まれていっ た。
マヤの内部を掻き乱しつつ、両胸から離れた彼の唇は、舌は、目指す場所を求めた。
左手を彼女の背中に差し入れ、ゆっくりと撫でながら、舌を這わす。
唾液で濡れた両胸は、ただぬらぬらと光り、室内の薄暗い照明が淡く照らしていた。
脇腹をくすぐるような舌が通過する。
マヤは、来るべき瞬間を待ちわび、ただ腰を揺らし続ける。
温かい速水の舌が通り過ぎた後の、空虚さを感じるいとまもなく、より一層の刺激を女の証に感じ た。
彼女の薄い草むらに到着した速水の唇は、それを掻き分け、小さなしこりを探し当てた。
それに軽く歯を立てた、その刹那。
「はあぁぁ・・・あああああっ・・・・・・」
マヤは今までで一番大きな声を惜しげもなく上げ、両足を彼の両肩に絡めた。
しばらく歯と舌でしこりを弄んでいた速水は、つつっと舌を割れ目に移動させる。
そして、濡れた割れ目に沿ってその舌先で突付き始めた。
「あん、あ・・・ああ〜〜〜〜ん、んん〜〜〜」
敏感な秘所を、生暖かい感触が往復する。
ベッドの上で狂喜する、マヤの小さな体。
溢れ、流れる泉を舌ですくい、再び秘所に塗りつける。
そこは、しとどに濡れ、もう止めようもないほど溢れかえっていた。
速水は指でその女の証を押し広げ、より深く舌を差し入れ、今度は泉を吸い上げた。
そんな彼の頭を掴み、秘所に押し付け、嗚咽ともとれる声を上げ続けるマヤ。
夜の闇に紛れた速水の行為は、永遠に繋がる刹那とも思えた。
・・・そう思いたかった・・・
いつ果てるともしれないマヤの肉体を拘束し、征服するこの行為。
速水の愛撫によって狂っていくマヤ。
互いにおかしくならなければ・・・全てを忘れなければ・・・
きっと、ふたりは破綻するであろう・・・

――もっと、もっと狂わせてやる・・・

そして自分自身も狂いたかった。
マヤの女の証から顔を上げた速水は、体をずらし、たぎる自身を空虚になった彼女の女にあてがっ た。
一瞬、呆然としたマヤの表情は、やがて恍惚の表情へと変わっていった。
割れ目に沿って二往復ほどさせた自身を、速水はぐいっと彼女の内部に進入させた。
ぬらりとした感触が彼自身を包み込んだ。
互いが待ちわびた瞬間。
天上へと導く数多の快感の波。
あとは、夢中で彼女の最奥へ、最奥へと向かって一心に自身を打ち込んでいった。
「はあ、あああっ〜〜〜ああああ〜〜〜」
最奥に速水を迎え入れたマヤの半開きの唇からは、切なさと快感が音となり零れ落ちた。
彼は彼で、肉の柔らかさ、温かさ、そして締め付ける感覚に身を捩っていた。
猛る彼自身は、最早とどまることなく、マヤの体内を突き上げる。
ときに激しく、ときに穏やかに・・・
緩急が伴う速水の律動に、マヤは完全に支配されていた。
ぬらぬらと濡れた彼自身が、せわしなく彼女の秘所を出入りする。
速水の背中に両手を回し、しがみつく形で抱きつくマヤ。
「あん、あん、あ・・・はやみさ・・んん・・・」
速水の体の下で組み敷かれるマヤは、うなされるように彼の名を呼ぶ。
「あ・・・速水・・・さん・・・スキ・・・スキよ・・・」
「俺もだ・・・愛している・・・君だけだよ・・・」
マヤ・・・と呟く彼は、その唇を彼女の艶やかな唇に重ねる。
軽いキスは、すぐに熱い口付けにと変わっていった。
舌を絡め、唾液を交換しあい、力を込めて吸い上げていく。
想いも、この刹那も、一緒に吸い上げ、自らのものとしたかった。
速水はマヤの髪を撫でていた両手を、すっと彼女の両胸に当て、再び強く揉みしだいた。
口中に、両胸に、そして女の証に刺激を与え続けられ、マヤは意識がなくなるほどの快感に包まれ た。
繋がった体の角度が変えられ、彼女はベッドの上で何度も声を上げる。
後ろからの結合が、より深い場所まで彼らを誘う。
きつい交わりが、より一層の快楽を連れてくる。
後方から押し込まれた、速水自身の絶対的な存在感に、最早マヤは体を支えることすら不可能
だった。
染みひとつないマヤの背中が、速水の目に映る。
誘われるが如く、彼はそれに唇を落とし、舌を何度も往復させた。
強く吸い付くと、彼女はびくりと体を揺らす。
艶やかに輝く真っ白い背中は、朱を帯び、散りばめられた花びらを彷彿とさせた。
その合間にも速水はマヤを突き上げる。
強く、強く、今度は渾身の力を込めて突いて、突いて、突き上げた。
意識が虚空を彷徨う。
頭の中が空っぽになり、肉体までもが空に放り出される感覚。
「あ・・・ああああああっ〜〜〜〜〜〜」
「マヤ・・・マヤ・・・」
締め上げる肉壁が、速水に限界を知らしめた。
「速水さぁん、速水さん・・・ああん・・・速水さん!!!」
「マヤ・・・俺の・・・マヤ・・・俺だけのものだ・・・」
荒い息が、ふたりの互いを呼ぶ声が、喘ぎが、室内を駆け巡る。

眩い光が・・・確かに見えた。

それは、決して希望の光ではない。

こんな瞬間にすら確信しなければならない真実。

ふたりは濁った頭の中でも気づいていた・・・理解していた・・・




行為が終わると、速水はマヤの体からすぐに離れた。
いつからだろう?
以前はベッドの中で、時間を惜しむように体を繋ぎ続け、行為の後でも、彼女の体を離しはしなかっ た。
たった今、あんなに密度の濃い時間を紡ぎ出したというのに・・・
あんなに激しくマヤの名を呼び、その体の上で果てたというのに・・・

――なぜ・・・?

それを聞くのは、ためらわれた。

もう自分に飽きたのではないか。
他に好きな女でも出来たのではないか。
自分を煩わしく思うようになったのではないか。

尽きることのない暗い思いが、マヤを支配していく。

「また、連絡するよ」
速水はマヤの頬にキスを残すと、振り返りもせず、部屋を出て行った。
ベッドにひとり残された彼女の周りは、再び光を失った。
薄暗い部屋。乱れたベッド。決してふたりは並んでここを出られない。
これがふたりの現実。
まごうことなき、現実だった。
マヤは咽び泣きを押し殺すかのように、爪をぎりりと噛んだ。




速水にとってマヤとの逢瀬の時間は至宝の如く、煌めく瞬間だった。
いつまでも彼女を抱いていたい。
その笑顔をいつも見ていたい。
いつも一緒にいたい。
その全てが叶うことがない、無意味な願い。
あんなに渇望した彼女との時間。
白昼夢の如く、彼の心を揺らし、惑わす、逢えない時間。
だが・・・
いつしか速水はマヤを抱いた後、言い知れぬ孤独に襲われるようになっていた。
彼女の全てを手に入れたいと願い、彼女の身も心も我がものとした。
そう、その筈だった。
だが、何かが違う。
こんなことを望んでいたわけではない。
きっと彼女もそうなのだろう。
だんだんふたりは口数が減り、逢う度に体だけを繋げてきた。
そう、欲しいのは体だけではない。
マヤの心底からの笑顔。彼女の幸せではないのか?
このままでは近い将来、自分は彼女を失うことになるだろう。
それだけは絶対に避けたかった。
しかし、彼は妻を捨てるわけにはいかない。
妻とは名ばかりの、まるで商談の為に必要な相手。
大都の社員の為にも、彼は妻を切ることなど出来なかった。




「イヤ・・・」
いつもの暗い部屋の中、マヤは彼女を愛そうと伸ばした速水の手を押しとどめ、静かな拒絶の言葉 を放った。
「マヤ?」
「もうこんなこと、止めにしたいんです」
速水は体に電流を流されたかのように、直立のまま動けなくなる。
彼女の瞳は凪いだ海に似て、穏やかに彼を見つめる。
しばし言葉を失う速水は、徐々に体を動かし、マヤの華奢な体を抱きすくめる。
「・・・だめだ・・・だめだ、認めない。君にこんな関係を強いている俺が言えた義理じゃないが・・・
わかっているはずだ。俺達は互いに互いを必要としている。頼む・・・もう二度と言わないと誓ってく れ」
「だめです・・・速水さん。あたし、もう耐えられない・・・お願い・・・」
闇夜に浮かぶマヤのシルエット。
まだ少女の名残を残すその姿は、揺らぐ陽炎の如く美しい。
「お願いです・・・」
尚も言葉を紡ごうとするその唇を、速水は自らの唇で止める。
息も止まるかの口付けを、今度は首筋に降り注ぐ。
「速水さん・・・わかって・・・ください」
懇願するマヤをベッドに押し倒し、速水は彼女の全身に愛撫という名の儀式を施す。
その愛撫は目に見えない鎖となり、彼女を縛りつける。
彼女の唇をついて出てくる別れの言葉は、やがて言葉にならない言葉となる。
そして現実世界と隔絶された、この室内に充満する。
速水にとっての光がマヤであるように、彼女にとっての光であり救いは彼だった。
行為の間中、マヤは再び眩しい光に包まれる。
「愛している・・・マヤ。愛しているんだ・・・もう二度と俺から離れるなどと言わないでくれ・・・」
速水は息を荒げながら、彼女に懇願する。
「速水さ・・・ん・・・あたしも・・・あたしも、あなたを・・・本当は、ほんと・・・は」
アクメを迎えた彼女は、絶え絶えに言葉を漏らす。

――きっとあたしは、このひとから離れられない・・・

絶望的な高揚感に包まれ、ふたりは絶頂に達する。
これからも、こんな絶望の夜を何度も迎えるのだろう・・・
何度も何度も、悔恨と謝罪を繰り返しながら。
そう・・・陽の届かぬ、この場所で・・・




<Fin>