桜の木から始めよう <前編>



紅天女の試演を目指した稽古中のある日のこと。
主役二人の演技が散漫なことで、黒沼グループは稽古が上手くいかずに行き詰っていた。 



そこで黒沼は、桜の宴を思いつく。
ちょうど桜が満開になったので、気分を入れかえる為に花見に行くことにした。
黒沼の頭の中には試演メンバーと、大都芸能速水真澄、秘書の水城を加えたとある作戦が密かに 練られていた。

「今日だけは無礼講だ。思う存分、花見を楽しむなり、酒を飲むなりしてくれ。
 その代わり、明日からは稽古をバシバシ再開するから覚悟しとけよ」
と言いながら、主役二人を見る。

これで少しはあいつらも前を向いて歩いてくれるといいんだが・・・。
どいつもこいつも止まったまんまで動きもしねえ。
何とかならないもんかねぇと苦笑する。

そういや速水の若旦那の所にも連絡しとかないとな。
あそこの秘書さんの協力が必要だ。電話しておくか。
重い腰を上げ、電話に手を掛ける。

「ああ、黒沼だ。速水の若旦那に伝えて欲しいんだ。本日、黒沼グループの稽古は休みだ」

「黒沼先生、それは・・・」

「主役二人が不調でね。グループ全体の覇気も悪い。気分転換に花見に行くことにしたんだ。
 ちょうど桜が満開で見頃だからな。 これで、少しは団結力が深まるかもしれねえしな。
 梅の木じゃないが桜の木でも何か感じることができるかもしれねえだろう。
 ・・・それにあいつらをどうにかしたいんだ」
水城はあいつらと言われた面々の顔を思い浮かべた。
「わかりました。社長にはそのようにお伝えしておきますわ。
 せっかくですから、こちらから差し入れをお持ちしましょう」

「すまねえなぁ。良かったら若旦那と一緒に覘きに来てくれよ。
 そっちも仕事漬けだろうから、気分転換になるだろうよ」

「そうですね。ではお言葉に甘えさせていただきます。
 今日は幸い社長も特別な会議や会食などはありませんし、一緒に伺わせていただきますわ」

「それじゃあ、また後でな」
と電話を切ると、黒沼は花見が行われている場所に向かった。

一方、水城は。
さて、どういう風に報告しましょうかと頭をひねる。
まあ、マヤちゃんが絡むと何をおいても行くと言うでしょうね。真澄様は・・・。

トントンと社長室のドアをノックする。
「入れ」
「失礼します、社長」
「何だ」

「先程、黒沼先生からお電話がありまして、黒沼グループは本日の稽古は休みにするとのこと
です」
水城の言葉を聞き、目を通していた書類から顔を上げる。
「休み? この大事な時期に何を考えているんだ。黒沼先生は」
訝しげな顔で水城を見る。

「それが主役の二人が不調のようで稽古が上手くいっていないようですわ」
「主役の二人・・・」と呟く。

マヤ・・・。稽古が上手くいってないのか?
まだ、紅天女をつかめてないのか・・・・・・。
速水は窓の外を見つめたまま、すっかり考え込み固まる。

真澄様・・・。マヤちゃんのこととなると、すぐにぼーっとされるんだから。
速水の頭の中がマヤの妄想で膨れているのを放っておいて話を続ける。

「今日、黒沼先生と試演メンバーは花見に行くそうです。
 ちょうど桜も満開で気分転換にもなるだろうと、先生がおっしゃっていましたわ。
 明日からは、いつも通りの稽古に戻るそうです」

水城の話で我にかえった速水は「何、花見だと?」と声を上げる。
自然に眉間に皺がよる。

ちょっと待て。 マヤも花見に行くのか? そして酒を飲むのか? 大丈夫なのか?
と頭の中は、ますますマヤでいっぱいになる。

「それから・・・。黒沼先生から私達にもお誘いがありましたわ。
 よかったら覘きに来て欲しいとのことです」

なぜ、それを早く言わないんだ。彼女は・・・。
すっかり彼女に弱みを握られ操られているようだ。

「わかった。今日の予定は書類の整理くらいだろう。明日に廻してもいいな。
 それじゃあ、水城君。お誘いいただいたことだし、早速行こうか?」

真澄様・・・。マヤちゃんに会えるからってそんなにすぐに行かなくても・・・。
本当にわかりやすい人だわ。
「はぁー。」とため息をつきながら会社を後にする。

速水たちが花見の行われている場所に着くと、桜が満開ということもあり多くの人で賑わっていた。

こんなに大勢の人がいてマヤを探し出せるのか?と考えていると、どこからか大きな声が聞こえて くる。
舞台で鍛えた者たちの声はひときわ大きくて、すぐにどこに陣取っているのかわかった。 




黒沼グループを見つけると速水はいつものように挨拶をする。

「黒沼先生、お誘いありがとうございます。これは差し入れです」と言って、持ってきた食べ物と
飲み物を手渡す。
「みなさんで食べてください」

「おう、速水の若旦那。悪いなあ。
 今日はありがとよ。秘書さんも一緒に一杯やっとくれ」
と言って持っていた缶ビールを一気に飲み干す。

「それにしても遅かったじゃないか、若旦那」
連絡を受けすぐに社を出てきたのにこんなことを言われるとは・・・。
速水は怪訝な顔になる。

「もう、北島は出来上がってるぞ」
と言われ、マヤを探せば真っ赤な顔して酔っ払っている。
一体どれだけ飲んだんだ?

「若旦那、来てそうそうで悪いが北島の相手をしてやってくれないか?
 あいつ酔っ払うとかなり酒ぐせが悪いらしい。手を焼いていたんだ」

「わかりました。僕がチビちゃんのお相手をしましょう」
顔は少し厳しい顔をしながらも内心は堂々とマヤの横に行けることに、嬉しかったのはいうまでも
ない。

が、そんなことはお見通しで彼らの罠にはまっていることを速水は知らない。
「黒沼先生、上手くいきましたね」水城のサングラスに隠れた目がキラリと光る。
「ああ、あとは北島と若旦那次第だな」黒沼は、タバコを吐き出しながら答える。
「一応、北島には言ってあるしな。覚えているかは別として・・・」

二人の行方を見つめている者がいることも知らずに、速水はマヤの側までスタスタ歩いていく。

そして、彼女の隣に立つと声をかける。
「やあ、チビちゃん。かなり飲んでいるようだが大丈夫なのか?」
「あっ。はやみさ〜ん。・・・・・い〜らっ〜しゃ〜い」

確かに酔っているようだ。真っ赤な顔で愛想もいい。
マヤが俺に「い〜らっ〜しゃ〜い」なんて普段、言わないからな。
どうしたんだ? こんなになるまで飲んで・・・。 何かあったのか?
ただただ驚いて声も出ず固まってしまう。

「はやみさ〜ん。どうしたんですか〜?
 せっかく来てくれたんだから、突っ立ってないで座ってくださいよ〜〜〜」
真っ赤な顔で目を潤ませながら言われると何ともいえない気持ちになってくる。
戸惑いながら「ああー」と言って彼女の横に座る。

「は・や・み・さん。何がいいですか?
ビール、チューハイ、カクテル、焼酎、ウイスキー、何でもありますよ〜!」
「そ、そうだな。とりあえず、ビール・・・でいいよ」
いつもと違うマヤに戸惑いを隠しきれない。

「は〜い。ビールですね」と言ってクーラーボックスからビールを取り出し
「はい。どうぞ」と笑顔で手渡す。
「ああ、ありがとう」
マヤの笑顔に愛しさが溢れ、自然と笑みがこぼれる。

「は・や・み・さん。とりあえず、乾杯しましょうか?」
「何に?」
「そうですね。今日一緒に桜が見れることに」
「じゃあ。乾杯」
「か〜ん〜ぱ〜い」
速水はビール、マヤはチューハイの缶を合わせる。

「チビちゃん。本当に大丈夫なのか? どれだけ飲んだんだ?」
速水は内心、心配でビールも喉を通らない。

「えっと。最初はビールで乾杯して2本飲んでから、次はチューハイをレモンとブドウとアップルの
3本を続けて飲んでたんですよ。 今はこれかな」
と先ほど速水と乾杯したピーチのチューハイの缶を見せる。
「だってこのフルーツチューハイおいしいですよ〜〜〜」

実の所、マヤは缶ビールを1本とチューハイを1本飲んだだけだった。
黒沼に言われたのだ。
ちょっと飲んで酔っ払ったふりをしていろと。
「若旦那が来たら、酔っ払った振りのまま自分の気持ちをぶつけてみろよ。
 いつものお前なら何も言えねえだろうが、酒が力を貸してくれるだろうよ。
 このままお前に若旦那のことずるずる引きずられると、紅天女の試演は失敗に終わるんだか
らな。
 いい加減ここで決着をつけてくれ」

黒沼先生は演出家だけあって私の気持ちをすぐに見抜いてしまった。
私が速水さんを好きなことに・・・。

マヤは黒沼に言われた通りに実行していた。

「どう考えても、飲みすぎじゃないのか? いくらなんでも君はお酒は弱い方だろう?」 

「えーーーー。でもわたし二十歳過ぎてるし、だいじょ〜ぶ」
と能天気にへらへらしながら飲んでいる。

「大丈夫なわけないだろっ。もうフラフラじゃないか」

先程までのマヤの側に居れるという嬉しい気持ちは消え、自然に眉間に皺がよる。
「誰だ?北島に酒をすすめたのは?」
声をあげる。

「速水さ〜ん。・・・何、怒ってるの?  私が自分から飲んだのにー。
 だって先生が、今日は無礼講だからじゃんじゃん飲めって言ってましたよ〜〜」

マヤは速水の怒った顔を見て、あまり飲んでなかったこともあり、だんだん酔いが冷めてくる。

「私も普段は稽古があるからこんなに飲むことはないんだけど・・・。
 先生がたまには飲んで忘れたらどうだって言ってくれて・・・。
 悩みがある紅天女じゃ意味がないからなって。
 紅天女って神聖なものでしょ。雑念いっぱいの私じゃ駄目だって」

先ほどまでとは打って変わって少し悲しげな顔で語る彼女に、言い過ぎたかとちょっと優しく声をか けてやる。

「悩みがあるのか、君は?」
と聞かれちょっと喋りすぎた事に気づいたマヤは
「えーと、あったけど忘れちゃった。エヘヘ・・・。お酒のちからかな?」と、ごまかす。

お酒のちからで忘れられる程度の悩みなのか?
それで紅天女ができないと?
馬鹿げてる。
そんなことは許さない。
次の言葉を出そうとしたときマヤに遮られる。

「速水さん? せっかく来たんだから、そんな怖い顔はやめて楽しく飲みましょうよ」 

と眉間の皺をそっと撫ぜられる。
どうして彼女は昔からこう俺を惑わすのだろう。
好きな女にこんなことをされて冷静で居られる奴がいるなら見てみたい。

自然に顔が赤らむ。
大都芸能の仕事の鬼、速水真澄ともあろうものが・・・・・・。

すっかり彼女に振り回され心乱されている時にマヤが突然話しはじめた。
「そ・れ・に。今日は酔いつぶれてもいいって、先生が・・・」

なに? 黒沼先生は何を言ってるんだ?

怪訝な顔をする速水を気にすることなくマヤは話を続ける。

「今日はお前を安心して連れて帰ってくれるやつがいるから大丈夫だって」

「な・に?」思わず大声をあげた。

眉間の皺がふかーく、ふかーくなり、両手の握り拳は色が変わるほどだ。
だんだん怒りが押さえられなくなってくる。
誰だ?  そいつは?   一体・・・・。
きょろきょろ辺りを見渡すがマヤを送れそうな奴?
どこにいるんだ?
桜小路か?

そんなこと絶対させるかーーーーーーーー。
マヤは俺のものだ。誰にも渡さない。

自分のものでもないのに、この独占欲はどこから湧いてくるのか。
自分自身に苦笑しながらもこれだけは譲れない。

こうなったらお開きまで彼女の側から離れるものか。絶対!!

今日はとことんマヤに付き合うことにした。
今日の彼女は酒を飲んでいるからか、いつもの恥ずかしがり屋じゃない。
マヤの気持ちが聞けるかも知れない。
少しずつ落ち着いてきた速水は、さりげなく話しかけることにした。

「そういえば、俺も花見は久しぶりだなあ。ここ何年も来てなかったよ。
 満開で綺麗だなあ」
ビールを飲みながら、大きな桜の木を眺め花見を楽しむ。

「そうですよね。速水さん、仕事の鬼ですもんね。お花見する時間もないですよね。
 じゃあ今日は、私と一緒にいっぱい楽しみましょうよ」

「そうだな。せっかくのチビちゃんのお誘いを断ったらあとが怖いからな」と苦笑する。 

「もうー。速水さんくらいですよ。いつまでも私のことチビちゃんって言うの。
 やっぱり私って速水さんから見るといつまでたっても子供なんですよね〜〜〜」

そんなことはない。
チビちゃんと言わないと、自分の理性の鍵が壊れて、いつ暴れだすことか・・・。
もう、彼女は子供じゃない。立派な女性になっていた。今まで以上に俺の心を惑わすほどに・・・。

「そりゃあ、君との付き合いは長いからね。何せ君が中学生の時から知ってるんだ。つい口癖でね」 と何気ない風に言うのが精一杯だった。

7年もの間、君のことをずっと見てきたんだ。
本当に綺麗になった。
いつか誰かが、マヤに手を出すんじゃないかと気が狂いそうなほどだ。
できることなら自分の腕の中に閉じ込めて、誰の目にも触れないようにしたいくらいだ。 



そうできない自分の立場がもどかしい。
すっかり自分の妄想の中に浸っていると、愛しい声が呼び掛けてきて我にかえる。

「はやみさん。いいですよ。これからもチビちゃんって呼んでも・・・。私のことずっと見ていてくれるな ら・・・」

「チビちゃん? それはどういう意味だ?」

「えっとー。それは・・・。速水さん。紅天女の試演が終わったら紫織さんと結婚しちゃうでしょ。
 そしたら、もうこうやって速水さんの横に座ったりすることもないかなって。
 だからこうして一緒にいれる時間も今日が最後かなって。
 女優としての私はずっと見ていてもらいたいなって。
 今までいっぱい喧嘩したけど・・・。今日は仲良く飲みましょ♪」
とマヤは少し淋しげな顔から精一杯の笑顔にかえて速水を見つめた。

マヤの答えが確信に触れそうで触れない所を彷徨っているのがもどかしくて苛立つ。
それにしても最近の彼女は昔のように突っかからなくなったよな。
いつからだろう?
ときどきふっと陰りのある表情をするようになった彼女の顔を見ながら考える。

その時マヤが「速水さんの結婚のお祝い何がいいですか?」と聞いてきた。

何を言うんだ、彼女は・・・。愛する女から結婚の祝いなんて貰えない。
気持ちを落ち着かせるために、胸ポケットからタバコを取り出し火を点けた。
タバコを吸って煙をふぅーと吐き出してから
「チビちゃん。お祝いはいらないよ。会社同士の結婚だからな」
と淡々と答えた。

「えっ・・・? 速水さん。紫織さんのこと、愛してるんじゃないの?」
「いや。彼女は俺には勿体ないくらい素晴らしい女性だが愛してはいない」
「愛していないのに結婚するんですか?」
「あぁー。会社の為の結婚だからな」
「そんなぁ。それで速水さんは幸せになれるの?」

俺が幸せになれるのは君といる時だけさ。と心の中で呟く。

「世間一般に愛している人と結婚できるのであればそれはとても幸せなことだろうな。 

 だが・・・。俺にはそうすることができない。愛している女がいたとしても・・・・・・」

「えっ。・・・・・・速水さん。・・・好きな人・・・いるんですか?」

「・・・・・・あぁ。だが、俺の気持ちが彼女に届くことはないだろう」

「どうして?速水さんほどの人なら嫌いだなんて言う人いないでしょ?
 容姿端麗、頭脳明晰、大都芸能の社長ですよ」

「君にしては珍しく俺のことを褒めてくれるんだな」

「えっ。だって速水さんがそんなこと言うから」

「そうだな。実は彼女は昔から俺のことを嫌っていてね。無理なのさ。
 俺が最も愛する人と一緒になれないのであれば、誰と結婚しても一緒なんだよ」

「速水さん? もしかして、理想高すぎ」

「そうかもしれないな。俺にとっては彼女は高嶺の花だよ」

「速水さんにそこまで言ってもらえるなんて、よほど素晴らしい人なんですね」

マヤは自分で聞いておいてだんだん悲しくなってきた。
速水さんに好きな人がいて、それもとても素晴らしい人で、でも一緒になれないなんて。 


私の出る幕なんて全然ないじゃない。
黒沼先生に自分の気持ちを伝えろって言われたけど、とてもじゃないが伝える気になれない。
速水さんがどれだけその人を想っているか知ってしまったから・・・。

もう、やけくそだぁ〜。
先生も送ってくれる人がいるって言ってたし、え〜い、飲んじゃえ。
速水さんとこうして一緒にいられるのも最後だ。
最後だけでもずっと一緒にいよう。

「はやみさん。もうこの話はやめましょう。
 今からは飲んで飲んで飲みまくりましょう」
マヤは必死に笑顔を作る。

「いや、だがな」と話を続けようとする速水を制して
「もう〜〜。速水さんが私のお酒に付き合ってくれないなら、私・・・。
 ・・・桜小路くんの所に言って飲んできます」と立ち上がる。

なに、桜小路だと? 
あいつの所になんか行かせない。

立ち上がって桜小路のところへ行こうとするマヤの腕をギュッと掴む。
「わかった。今日は君にとことん付き合うよ。だから座ってくれないか?」

マヤは速水につかまれた腕から彼の温もりが伝わってきて顔が赤くなってきた。
「わ、わかりました。絶対、最後まで付き合ってくださいよ?」
「あぁ。付き合うよ」穏やかな声で言う。
君が嫌だと言ってもね。と心の中でつけたしながら・・・。

その声に安心したのかマヤは次から次へと缶を開けていく。
速水も適当に付き合っていたが、彼女が酔いつぶれるのを覚悟して飲んでいるのがわかりペース を落とすことにした。

それにしても彼女がこんなになるまで飲むなんてどんな悩みがあるっていうんだ。
俺には話してくれないんだろうな。

だが、マヤが酔いつぶれたら俺が絶対送っていく。誰にも送らせないからな。
そう、心に決めて。



その二人を遠くから見つめる傍観者が三人。

一人はもちろん、桜小路。
速水社長がマヤの側にいるので近づくことができない。
あ〜〜。マヤちゃん。そんなに飲んで大丈夫なのかい?
どうして、ずっと速水社長と一緒なんだ?


後の二人は黒沼と秘書の水城。
北島。何やってるんだ?さっさと言っちまえ。
真澄様、いい加減になさいませ。いつまで悶々としているつもりですか。

せっかく、お膳立てをしたのに何の進展もない二人に苛立ちが募る。
「先生、どうしましょう?これじゃあ、いつもと同じですよ」
「そうだなあ。ここは、こいつに頑張ってもらうか」と桜小路を見る。
「そうですね。ちょっと彼に煽ってもらいましょうか?」
「ああ。そのほうが若旦那も素直になるんじゃねえか」
それなら、早速行動だ。

「おい。桜小路」
「何ですか? 先生」
「北島がかなり酔っぱらっているようだ。悪いが家まで送ってやってくれないか?」
「わかりました。僕が責任を持って送ります」
と言って満面の笑みを浮かべてマヤの元へ向かう。

「先生。うまくいきましたね」
「ああ。あとは、若旦那次第だな。
 これで桜小路に北島を取られるようだったら、もう終わりだな」
「真澄様は以前から桜小路くんにはかなり嫉妬されてましたから、きっと動くはずですわ」
二人は3人の成り行きを見守ることにした。

マヤの元に行った桜小路は優しくマヤに声をかける。
「マヤちゃん。もう帰ろう。僕が送っていくよ。先生に頼まれたんだ」

マヤは酔っぱらっていて、ぼーっとしている。
桜小路の声は聞こえていないようだ。

それを聞いた速水は、やっぱり桜小路だったかと苦笑する。
だが、ここで彼に俺のマヤを渡すつもりはまったくない。

「桜小路君。悪いがチビちゃんは俺が送っていくよ」
「えっ。速水社長がですか?」
「あぁ。俺が送っていく」
「どうして、あなたが?」

「それは・・・。君にはマヤを任せられないからだ」

こいつには、ここでしっかり引導を渡しておこう。
マヤを守るのは俺だ。

「なぜ? 僕じゃ駄目なんですか?」
「さっきチビちゃんに頼まれてね、約束したんだよ。最後までつきあうとな」

「マヤちゃんが・・・。そんなぁ」
「悪いがそういうことだ」

速水は、うな垂れる桜小路を放っておいて
「チビちゃん、送っていくよ」
と、彼女を横抱きにして立ち上がる。

肝心のマヤは、もうすでに眠りの世界へと旅立っていた。
彼女の寝顔を見ていると自然と穏やかな気持ちになってくる。

そして、黒沼と水城の元へゆっくりと歩いていく。
「黒沼先生。今日はお誘いいただきありがとうございました。
 北島くんは酔いつぶれたので、私が送っていきます」
「そうか、悪いなあ。北島がかなり酔ってるみたいだったから桜小路に頼んだんだが・・・。
 若旦那が送ってやってくれるなら安心だな」

「お任せください。ちゃんと家まで送りますから。それでは、お先に失礼します。
 水城君。君も適当に帰っていいからな。また、明日もよろしく頼むよ」

そう言ってマヤをしっかり抱きかかえ、意気揚々とタクシー乗り場に向かう。

「とりあえず、上手くいきましたね。
 先生は最初から、真澄様にマヤちゃんを送らせるつもりだったんでしょう?」

「ああ、そうだ。いつまでも止まっているわけにはいかないだろ? 若旦那も北島も桜小路も。
 いつかは前に進まないといけないんだよ。
 俺はきっかけを作ってやっただけだ。後は自分たちの問題だからな」
「そうですね。いい加減にしていただかないとこちらの仕事にも差し支えますわ」
「まあ、お互い大変だが、今日は楽しんでから帰ろうぜ」
「ええ。お付き合いしますわ」


速水はタクシーの中でもマヤを横抱きにしたまま座る。
眠っている彼女の髪をそっと何度も撫でていく。
抱いているマヤの髪の香りが鼻をくすぐり、何度も理性が飛びそうになる。
もっと抱きしめたい。このまま自分のものにしたい。

そんな時、マヤが「はやみさ〜ん」といきなり呼んだので
えっと、我に帰るが彼女は眠ったままだった。
突然のことでびっくりしたが、マヤが自分の名前をあまーい声で呼んだので、ますます離れたくなく なる。

速水が離れがたい思いを抱えて悶々としているとタクシーはマヤのアパートに到着した。