大切な宝物
満開の桜の木の前でお互いの想いが通じあってから6年の月日が流れていた。
数々の壁を乗り越えた二人は幸せな結婚生活を送っている。
暖かい春の日差しの中、速水真澄、マヤ夫妻は都内の私立の幼稚園を訪れていた。
今日は最愛の息子、真斗の入園式で二人は仕事を休んで出席している。
日頃から真澄もマヤも忙しい為、真斗と過ごす時間は少ないが、それでも休日や時間があるときは
愛情をもって接してきた。
真澄は真斗が生まれてから、家で時間があれば進んで育児を手伝っており、もともと器用な彼なの
でマヤよりも的確にそつなくこなして、育児が彼女の負担にならぬように手助けし見守っている。
最近は子供と一緒にお風呂に入り、キャッチボールを教えるなど子煩悩ぶりを益々発揮して周囲を
驚かせていた。
そのことを知っているのは最愛の妻マヤと義父英介、速水家の使用人達だけである。
真澄の家庭での様子を大都芸能の社員達が聞けば目を白黒させるであろう。
会社ではあいかわらず鬼社長で通っているのだから。
それだけ彼の生活態度は会社と家での差が激しかった。
家族の縁が薄かった二人にとって真斗は何物にも代えがたい宝なのだ。
普段から真斗は英介や使用人達と過ごしているので大人慣れはしているが、子供たちと遊ぶ時間
がほとんどなかった。
子供は子供同士で遊ぶ方がいいだろうと二人で相談した結果、幼稚園に入園することになったの
だ。
大人と一緒にいるのが当たり前だった真斗は、最初、子供たちとなじむことができなかった。
久しぶりに一緒にいることができる両親に今日は甘えていた。
いつもはしっかりしているのに子供たちの列の中で泣きながら並んでいる息子を見て真澄はため息
をつく。
「君の息子なのに、大舞台では弱虫のようだよ」
マヤは優しい微笑を浮かべ真斗を見つめながら囁いた。
「あの子も初めてのことと慣れない雰囲気で緊張しているのよ」
「普段の君はとても頼りなく見えるが、ひとたび舞台に立てばどんな役でもこなして輝くだろ。
あいつもそうかと思っていたんだが違うようだな」
「じゃあ、真澄さんに似てるんじゃないの?」
「えっ? 俺にか?」
「だって、あなた、いつもは仕事の鬼でどんなこともそつなくこなすけど、肝心なことになると全然勇
気がなくて駄目じゃなかったかしら。
そのおかげで私はずいぶん辛い思いをしたんだけどな」
といたずらっぽく笑いながら真澄を見る。
「うっ。マヤ。痛いところをついてくるな。確かに君には手も足も出なかったよ。俺は・・・」
さすがの真澄も昔の話をされると苦笑するしかなかった。
「ほらね、あなたに似てるのよ。あの子」
「そのようだな」ここでは認めざるをえない。
俺も年を取ったのか? マヤに言い負かされるようになるとは・・・。
だが、このままではしゃくなので真澄はなんとか反撃しようと試みる。
「あいつの顔見てごらん。マヤの泣き顔にそっくりだよ。
君は自分がどんな顔しているか知らないだろうが、俺は今までチビちゃんの泣き叫ぶ顔を嫌ってい
うほど見てきたからな」
「ええー。私が泣いてたのは、いつもあなたに泣かされてたからじゃない」
「本当はマヤを泣かすつもりはなかったんだよ・・・。
君のことが好きだったからついからかって意地悪を言ってたんだ」
「あなたって、11も年上だったのに子供っぽいところがあったのね」
「君への気持ちは俺にとっては一途な初恋だったからな。よく言うだろ、好きな子はいじめたくなるっ
て。
子供の時に恋することがなかったんだから仕方ないんだよ」
「そうよね。子供の頃のあなたはそれどころじゃなかったんだもの」
と言いながら真澄の横顔をじっと見つめ、式の最中の真斗と見比べる。
「どうした?」
「やっぱり真澄さんによく似てるわよ。真斗」
「どこが似てる?」
「きりっとした綺麗な横顔とか。・・・・・・甘えん坊のと・こ・ろ」
何だって。 俺が甘えん坊だと? 君より11も年上で大都芸能社長の俺がか。
「マヤ。横顔はいいが、俺のどこが甘えん坊だって言うんだ?」不愉快さを顔に出して聞き返す。
普段から大人の威厳を崩さずにマヤに接しているはずなのにそんなことをいわれては身も蓋もな
い。
「あら、あなた。最近お酒飲んだ時、凄いわよ。子供も顔負けよ。普段は大人ぶってそんな素振り少
しもみせないくせに。
一度お酒が入ったらビックリするくらい甘えるんだから」
「俺はいつもそんなになるほど酔っているのか?」
全く身に覚えがない。
「この頃、お酒飲んだ時のこと覚えてないでしょ。水城さんがビックリしてたわよ。
真澄さま、結婚する前はどんなにお酒を飲んでも酔えないっておっしゃってたのに、今は幸せなの
ね。マヤさんがいるから安心してるのよって」
「そうか、彼女がそんなことを・・・。それは否定できないな。家に帰れば愛する君や真斗がいてくれ
るからな」
「ふふふ。そういってもらえると嬉しいわ」
マヤは満面の笑みで彼を見つめた。
すぐに真澄は彼女の耳の側で囁くように問いかける。
「ところで、酔った俺はどんな風に君に甘えるんだ?」
マヤに甘えている自分を知りたくてつい聞いてしまった。
「それはひ・み・つ。あなたが大人の仮面を外して私に素直に甘えてくれるなら教えてあげてもいい
わよ。もちろん、家に帰ってからだけどね」
結局、式の間中二人はとりとめもない話に花を咲かせていた。愛する息子を見つめながら・・・。
お互い一緒にいる時間が少ない二人にとって、今日のようにゆっくり話が出来るのは貴重なことだ
った。
その後、無事に入園式が終わり3人で手を繋ぎ歩いて帰る途中で大きな桜の木が目に入った。
「そういえば、今年はまだ花見に行ってなかったな」
「そうね。今日、休む為に仕事を詰め込んでいたから」
「じゃあ、今から行こう。あの公園の桜を見に行くのは俺たちの約束だろ」
「ええ。毎年見に行くって。きっと今年も満開よ」
「早速行こうか。マヤ、真斗」
「うん。ぼく、あの公園の桜、大好きなんだ」と笑顔でマヤと手を繋いだ。
真澄はタクシーを捕まえると運転手に行き先を告げた。
車中でニコニコしているマヤと真斗を見ながら6年前のことを思い出す。
あの時から俺たちは始まったんだ。
酔ったマヤを家に送るだけのつもりが少しでも一緒にいたくて・・・そしてあの場所で告白し、想いが
通じた。
もうあれから6年も経つのか。早いものだ。
もしあの時、告白してなかったら俺はこの幸せな時間を味わうことができなかったんだなあ。
そのことを考えただけで身震いしそうだ。
いろいろ考えている間に思い出の公園に到着した。
マヤと真斗は車から降りるとすぐに公園に向かって走り出した。
真澄は苦笑しながら運転手に支払いを済ませ、ゆっくり二人の後を追う。
子供を産んで母になっても彼女は愛らしい。
女の色香を漂わせながらも少女のような純粋な心を持ち俺を魅了する。
真斗と一緒に公園を走っていく姿はそっくりでつい笑みがこぼれた。
君にも似ているよ。そう心の中で呟いた。
すぐに真斗はブランコに立ち、勢い良く漕ぎ出した。やはり彼女の子だ。ブランコが好きらしい。
あの日と同じく桜は満開で、まるで俺たちが来るのを待っていてくれたようだ。
マヤは桜の木が見えるベンチに腰掛け桜を見ていた。
彼女も思い出しているのだろうか、あの日のことを・・・。
真澄はゆっくりとマヤの隣に座り同じように桜の木を眺めた。
そして、穏やかな声で問いかける。
「マヤ。あの日のこと覚えているか?」
「ええ、忘れるわけないじゃない。あなたと想いが通じた二人の始まりの日よ」
真澄はそれを聞くと安心して、彼女の肩にそっと手をかけ自分に引き寄せた。
それから、ゆっくりとマヤの肩に自分の頭をもたれさせた。
彼の行動に一瞬戸惑うマヤだが嫌な気はしなかった。
外で真澄が安心して自分に身を任せることはほとんどないからだ。
二人の思い出の場所だから気が緩んでいるのかもしれない。

真澄はそのままで、目を瞑り囁くように話し出した。
「俺もさっき思い出してたんだ。今だから言うが、あの日、俺は・・・猛烈に君を抱きたかったんだよ。
キスまでで済んだのは奇跡だね」
「ま、ますみさん?」マヤが驚いた顔で彼を見つめる。
真澄は目を瞑ったままであの日のことを思い出しながら話を続ける。
「どれだけ俺が自分の理性と闘っていたか知らないだろ?
本当は君と想いが通じた時、すぐにでも君のすべてを自分のものにしたかったんだぞ」
結婚して何年も経っているが、面とむかってそんなことを言われたのでマヤも顔が真っ赤になってし
まった。
「今日・・・。 あの日、出来なかったことをしてもいいか? 真斗が寝た後で・・・」
ここで真澄はゆっくり目を開けて、激しい情熱を携えた瞳でマヤを見つめた。
「えっ」
「久しぶりに2人揃っての休日なんだ。ゆっくりできるだろ?」
「それは、そうだけど・・・」
真澄からの甘く激しい誘いにマヤは落ち着かない。
「それに・・・。俺が素直に甘えたら酔った時のこと教えてくれるんだよな?」
「・・・ええ、そうよ。でもあなたが私に素直に甘えるなんて無理じゃないの?」
「どうしてだ?」
「だって、真澄さん。どんな時でもかっこよくいたいんでしょ」
「そうだな。夫としていつまでもかっこよく、逞しく、頼りがいのある男でいたいと思うよ。君に愛想つ
かされたらいやだからね」
「もうー。私が愛想尽かすわけないじゃない。私にはいつまでもあなたが必要なのに・・・」
「マヤ・・・。俺にも君はいつまでも必要なんだ。この幸せを、守りたい家族を与えてくれたのは君だ
から。 これからもずっと一緒にいてくれるよな?」
「はい。真澄さんもずっと一緒にいてね。私達の家族を守ってね。私を幸せにできるのはあなただけ
だから・・・」
「ああ。一生、君達を守り続ける、幸せにする、約束するよ」
あの日から年月が経った今日もまた、桜の木を前にして誓い合う二人がいた。
熱を帯びた瞳で見つめあい、あまーい空気を漂わせ完全に二人の世界に入っているのを呼び戻し
たのは真斗だった。
「パパ、ママ。お腹空いたよー。早くお家にかえろっ」と大きな声で呼んでいる。
その言葉を聞いた真澄はくっくっくっと笑い出した。
「真斗はやっぱり君にも似ているよ」
「えっ。どうして?」
マヤはキョトンとした顔で問いかける。
「だって腹の虫は君の専売特許だろ。俺じゃないぞ」と小声で呟いた。
それをしっかり聞いていたマヤは真っ赤な顔で叫ぶ。
「もうー。すぐにそうやってからかうんだから。・・・真澄さんなんて、だい・・・・・・」
その先を彼が聞くことはなかった。
真澄がすばやく彼女の口を塞いだから。
マヤの「大嫌い」は真澄の熱くて甘い蕩けるようなキスで消えてしまった。
そっと唇を離した真澄は、「その言葉はもう聞きたくないんだ」と彼女の耳に優しく囁いた。
マヤも「うん、わかった」と言って俯いたまま立ち上がる。
真澄も立ち上がるとふわっと彼女を包むように抱きしめた。
「マヤ・・・。真斗は俺にも君にも似ているよ。だって俺たち二人の子供だろ?
それにどっちに似ててもいいんだ。俺と君の良い所も悪い所も・・・。俺たちは二人で一つの魂な
んだから」
「そうね。私達はお互いを支え合って生きているんだもの。どちらが欠けても駄目なのよ。
そして私たちにとって大切な宝物が真斗なのね」
「ああ、そうだよ。何物にも代えることができないたった一つの俺たちの宝物だ。
俺とマヤで守るんだよ。ずっと・・・・・・」
マヤはゆっくり頷くと春の女神アルディスのような微笑みで彼を見つめた。
・・・・・・綺麗だ。素直にそう思う。
彼女の温かい微笑みに癒されながら、真澄は二人の王女のマヤが登場する場面を思い出した。
光り輝く美しいマヤの姿に心奪われた自分を・・・。
あの時と同じように彼女の笑顔に視線を釘付けにされ照れてしまった真澄はごまかすように声をか
ける。
「さあ、行こう。真斗が待っている。おいで」
と彼女に手を差し伸べた。
マヤも少し照れながらそっと真澄の手に自分の手を添える。
真澄はマヤの手をしっかり握ると真斗のいるところへ走り出した。
二人は愛する息子を優しく抱きしめ家路への岐路に着いた。
家に帰ってから真澄がマヤに素直に甘えたかどうかは秘密らしい・・・・・・。
<Fin>
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