C-B
「わかった!責任を取ろう!!」
一もニもなく、真澄は叫んでいた。渡りに船とはこのことである。
世界中の誰よりもマヤを愛していると(心の中で)常に主張している真澄であったが、自ら告白する 勇気もなく、彼女のことを思ってはただ悶々と毎日を過ごすばかりであったのだから。
「私、あなたのことが好きなんです」「速水さん・・愛しています」
「一生、私の傍にいてくれませんか?」「お願い、あなただけの物にして」
「真澄さん、私を食・べ・てvv」
今まで彼の妄想の中で様々な告白をしてきたマヤだったが、「責任をとれ」という言葉は未だかつ て言ったことはなかった。
さすがだ、ちびちゃん・・君はいつも俺の予想を覆すな。全く飽きない子だよ。
現在の状況も省みず、一人悦に入っている真澄。
そんな彼のニヤニヤ笑いをどう勘違いしたのか、マヤは脱ぎかけていたオ○ナミンCの香り漂うブラ ウスを胸の辺りでぎゅっと重ね合わせる。真澄に肌を見せていることに危機感を覚えたのだろう。
それは客観的に見ても、概ね正しい判断と言えた。
8年もの間、真澄は美味そうな餌をただ影から見つめるだけで耐えてきたのだ。
飢え続けた狼が「責任」という名目のもとに差し出された食事に手を出さぬわけがない。
鈍さ大全開のマヤも流石に女としての身の危険を感じたのか、急に不安になってくる。
(つい責任をとって!なんて言っちゃったけど、このまま押し倒されたりしたらどうしよう。
それだけはイヤ!!ちゃんと手順を踏んでもらわないと・・)
その手順とは一体どのようなものなのか。
まずは手を繋いで、キスをして、それ以上は結婚してからよv
・・という話であるならば、真澄がその手順を踏むことは不可能に近い。
「あ、あの速水さん」
「ん・・・なんだ・・・?」
既に真澄の頭の中では二人は式を挙げ、多くの人達に祝福されていた。
その中には悲嘆にくれている桜小路の姿も見える。
まぁ、なるべくしてなった結果だ。恨まないでくれよ?
勝者の余裕をかましつつ、真澄はマヤをエスコートしていた・・ところに当の本人から声がかかった のだ。
現実に戻るまで多少の間があったとしても、それは止むを得ないことだろう(真澄にとっては)

「・・私、着替えたいんですけどいいですか・・?」
(とにかくきちんと服を着て、話はそれからだわ)
マヤとしては先ほどの「責任を取る」発言も気になるところであったが、それ以上に自分の身を守る ことが最優先と考えたのだ。
「ああ、服が濡れていたんだったな。風邪を引く前に着替えたまえ」
俺が着せてやろうか、と喉元まで出かかった言葉を寸前で飲み込む。
どちらかといえば脱がせる方が楽しいのだが・・いやいや、そういうことではなく、今の段階でそのよ うなことを言おうものなら痴漢では?という彼女の疑惑を肯定するようなものだ。
それだけは絶対に避けたい。
いくらその勘違いによってマヤからプロポーズを受けたとはいえ、真澄にもなけなしのプライドがあ る。男として、この誤解だけは解いておかねばならない。
そのためには今は我慢だ。これから先、いくらでも彼女の着替えを見ることができるのだから。
いや、着替えどころかあんなことや、こんなことも・・・
マヤとの熱い生活を思い描きつつ、理性を総動員して彼女に背を向ける真澄。
素直に後ろを向いた彼に安堵し、マヤは水城に借りた服を手に取った。
(良かった・・俺が手伝ってやろうか、とか言われたらどうしようかと思った・・)
背を見せる男が何を考えているかは、知らぬが仏であろう。

「わぁ、かわいい!これエプロンもついてるv」
マヤの軽やかな声を聞き、真澄の心も空に届かんばかりに浮き立つ。
そういえば水城君が用意したと言っていたな。どんな服なんだ?
もっともちびちゃんは何を着ても似合うがな。
ノロケたセリフを頭の中で吐きつつ、真澄はその可愛い彼女が自分のものになる幸せを噛み締め ている。
二人の間には「勘違い」という大きな溝があることを、今の彼はすっかり失念しているようだ。
「速水さん」背中越しにマヤが声を掛ける。
「なんだ、ちびちゃん」
「さっきの言葉、あれは本気ですか?」
「あれとは?」
「責任・・取るって・・・」
マヤの言葉が段々尻つぼみになる。
「俺が冗談でそういうことを言う男に見えるか?」
「だ・・だって結婚ですよ!?これからずっと私と一緒にいるって、そういうことなんですよ?
そんな簡単に決められることじゃないじゃないですか!からかうのもいい加減にしてください!!」 「からかってなどいるものか!」
我を忘れて振り返った真澄は思わず絶句する。
彼が目にしたのは、紺のワンピースに大振りのフリフリレースのついたエプロンをしているマヤ。
(メ・・メイド姿・・・)
コスプレの代表格ともいえるこの衣装をなぜ水城君が持っているんだ?
まさか自分が着るためか!?いや、いくらなんでも彼女には似合わないだろう。
喫茶室のメイドの服はスーツに近いものだし・・いや、そういえば制服を新しく導入したいと水城君 が話していた気がする。確か訪問客の要望に応えてとか言っていたな。
さして興味もないことだったので全て彼女に一任していたのだが、もしかするとこれがその制服 か・・?
頭の中に様々に現れる疑問も実際のところ、彼の意識を独占することはなかった。
目の前にいる愛らしい存在が彼の全てを、細胞の一つ一つを刺激する。
「速水さん?」
急に黙りこくった真澄に疑問を感じ、マヤがちょこんと首を傾げて彼の顔を覗き込む。
(・・・か、かわいい・・・!)
頬が急激に火照るのを感じ、彼は慌てて顔を背けた。
(いかん、冷静になれ、速水真澄!俺ともあろうものがこの程度のことでうろたえてどうする)
いくら己れを叱咤したところで、熱くなった頬は未だ冷める様子もない。
(とにかくマヤにきちんと説明をしなければ!俺は冗談などではなく、本当に君と結婚をしたいのだ と、愛しているのだと。このままではまた誤解が誤解を生んでしまう・・!!)
いかにもありそうな想像に、真澄はじわりとにじみ出て来る汗を拭こうと作業着のポケットから綺麗 にアイロン掛けをされたハンカチを取り出した。

一方、その様子を見ていたマヤは密かに心を痛めていた。
(速水さん、私の顔を見ることができないなんて・・やっぱり無理してるんだ・・)
マヤの心にだんだん暗い靄がかかる。
そうよね、速水さんにはあんなに素敵な婚約者がいるのに、私なんかと結婚するはずないもん。
この人は優しいから、私の要求を断ることができなかったんだわ。
それがどんなに残酷なことなのか、あなたには分からないでしょうね・・
切ない眼差しを向けるマヤに、自分のことで精一杯の真澄が気づく気配はない。
(・・え・・?)
真澄を見つめていたマヤの右手が動き、やんわりと口元を覆う。
(速水さん・・・泣いてる・・・?)
彼女に若干、背を向ける形で俯きハンカチを目元にあてているその姿は、まるで悲しみに打ちひし がれているように見える。
もっとも実際に拭いていたのは涙ではなく、額から吹き出る冷や汗だったのだが。

(ああ・・私はなんて自分勝手な人間なんだろう。速水さんは私の咄嗟に出た言葉に追い詰められ て、涙まで流しているというのに・・)
常に自分の感情を見せない男の悲しむ姿(マヤ視点)を目の当たりにし、マヤは返って落ち着きを 取り戻していく。
(ごめんなさい、速水さん。社長という大変なお仕事についているあなただもの、ちょっとハメを外し たくなることもあるわよね。それを責めて結婚しろだなんて、私はなんてことを言ってしまったんだろ う)
覗きという行為が事実であるならば「ちょっとハメを外す」程度の話ではないのだが、そこで納得し てしまう当たりがマヤがマヤである所以であろう。
(少しでも彼の負担を軽くしてあげたい・・それが今の私にできること・・!)
マヤは決心し、舞台に上がる前のような澄んだ心で真澄に向きあう。

「速水さん、もういいんです」
神々しいほどの笑顔でマヤは真澄に話しかける。
「私のいい加減な言葉であなたを苦しませてごめんなさい。どうか・・紫織さんとお幸せに・・」
くるりと踵を返し、膝丈より上のスカートを舞い上がらせて駆け出そうとするマヤ。
―――予感的中!―――
ほんの1分足らずの間に変化した状況に真澄は焦りを感じつつも、咄嗟に彼女の腕を掴む。
「待ちたまえ、ちびちゃん!」
メイド姿の少女を強引に引き止めようとする青い作業服の男。
ハタから見れば誘拐かと思われそうなシチュエーションであったが、幸いなことにそれを目撃する
第三者はいなかった。
「どうして君はそう早とちりなんだ!」
「なっ!早とちりって、何がですか?私は速水さんのことを思って・・」
「何もかもがだ!」
マヤの言葉を遮り、彼女の二の腕を掴むとその身体を己れへと向ける。
「いいか!いろいろ君には言いたいことがあるが、まず知って欲しいのは・・」
真澄は一度口をつぐみ、そして次の瞬間ふわりと微笑んだ。
「責任を取る取らないということではなく、俺は君と結婚をしたいということだ」
(え・・?)
マヤはあり得ないセリフを聞いたと言わんばかりに、ただ呆気にとられている。
その様子に苦笑しながらも真澄は更に言葉を続ける。
「本当だぞ、ちびちゃん。俺はもうずっと長い間、君を想ってきた。飾ることなく俺に接する君が愛しく て、かわいくて・・大切な存在だった。だから『結婚してくれ』という君の言葉が信じられないくらいに 嬉しかったんだ。例えそれが、とんでもない誤解から来ているとしてもだ」
「とんでもない誤解?」
「そうだ」
真澄は今を逃せばチャンスはないとばかりに、力を込めて説明を始める。
「俺がこんな格好をしているのは、部下の動向を知るためだ。社長として上から見下ろすばかりで は相手の本質を知ることはできないだろう?カメラも何か問題があったときに証拠を押さえるための ものだ。決して君が考えているようなことではない・・」
「そうなん・・ですか・・?」
「ああ、そうだ」
(よし、あともう一押し!)
真澄は会話に手ごたえを感じ、更に畳み掛ける。
「俺が廊下のワックス掛けをしているときに、君は挨拶をしてくれただろう?大都の社員で清掃員に 声を掛けるような人間は残念ながらいなかった。こういう何気ないことで、人となりというのは見えて くるものだな」
(そして、そんな君だから俺は惹かれるんだ・・)
普段、真澄が清掃員はおろか部下にさえ自ら挨拶などをしたことがないという事実は、しっかりと
棚の上に置かれている。
「挨拶って・・えーーっ!?もしかして、あのおじさんは速水さんだったんですか!?」
クリティカルヒットーーーッ!!!
真澄の胸にぐさりと「おじさん」の文字が突き刺さる。
一度ならず二度までも・・悪気がないとは言え、その容赦のなさに泣けてくる。
「・・俺はそんなに老けているか・・?」
つい恨み言が口をついても、それは詮無いことであろう。
「え・・あ、あの、そういうわけじゃなくてっ、だってまさか速水さんが変装してるだなんて思わなかっ たし・・顔もちゃんと見てなかったから・・」
ボソボソと言い訳をするマヤが微笑ましく、真澄はそっと彼女の身体を抱き寄せる。
「はっ・・速水さん!?」
「気にしなくてもいい。こんな誤解を生むような格好でいた俺も悪いんだ。君が分かってくれればそ れでいい」
「速水さん・・」
さりげなくマヤに引け目を感じさせ、自分のペースに持ち込む真澄。
このそつのなさは、やはり年の功というところか。
「だがな、マヤ」
突然真剣味を帯びた声に、マヤの身体がぎくりと強張る。
「勘違いで痴漢呼ばわりをして俺の心を傷つけた責任はとってもらうぞ」
「せ、責任・・?」
「ああ」
びくつくマヤにくすりと笑みを洩らし、真澄は彼女の両肘を掴んだまま立て膝をつく。
マヤを若干、仰ぎ見る姿勢。
「俺と結婚してくれ、マヤ。いつも君の笑顔を見ていたいんだ」

改めて告白をする真澄に、マヤは返事をするどころか微動だにしない。
数秒の、しかし彼にとっては何時間にも感じられるほどの沈黙。
胸の鼓動がドクドクと早まり、それはまた刺すような痛みをも生じさせる。
「嫌・・か・・?」
やっとの思いで口から吐き出した、答えを促すその言葉の意味に彼自身が傷を負う。
彼女の腕を掴んでいた両手が、力なく離れた。
その心の痛みゆえに我知らず眉根を寄せていた彼の顔に、ぽたりと1つの雫が落ちる。
(え・・)
疑問に思う間もなかった。
真澄の首にマヤの手が掛けられ、彼女の身体が勢いよく飛び込んでくる。
「速水さん、速水さん、速水さん、速水さんっ・・・!!」
彼の名を呼ぶ少女の声は涙に侵され、大きく震えている。
「いいの?本当に私でいいの?」
答えを返す代わりに、問いを投げかけるマヤ。
突然の衝撃に対応できず、ただ降ってきた身体を受け止めるばかりであった真澄の手が、意思を 持って彼女を強く抱きしめる。
「君がいいんだ。君でなきゃ、俺は駄目なんだ」

すれ違い続けた二人は喜びの涙の中で、魂が求める唯一の存在を手に入れた。
初めて打ち明けた溢れんばかりの想いを、互いの胸に刻み付けて。
そしてその後何十年もの間、速水家では二人を結びつけた青いつなぎの作業服が大切に、大切に 保管されていたという―――



<Fin>



(C−Bエンディング担当:くるみん)